じぶんガイドラインと題して、自分の考えをまとめようという試みは、明確に言語化していなかったことも改めて考えてみるきっかけになっています。
環境の変化もあり、自分を見つめ直す良い機会だったのかもしれません。
思えば、自分は「個性」と呼べるような強い特異性を持てたことが無いような気がします。
クリエイターとしてそれはどうなんだ、と言われるかもしれませんが、大成する人は皆、口を揃えて
「才能なんてものはない、必要なのは既存のアイディアを組み合わせることと、努力を継続すること」
と話しています。
自分では、個性や才能に対して憧れる気持ちはあれど、それが欲しいと思ったことも、必要だと思ったこともありません。
個性や才能だけでは、ユーザーの求めるものに寄り添えるとは思えないからです。
でも、自分の芯は曲げたくないと思います。
それを曲げたら、ユーザーを裏切るものづくりになっていくであろう、ということは想像に難くないでしょう。
そして、芯を貫き通していけば、ゆくゆくはそれが個性ともなりうると考えています。
だから、まずは自分の考えを固めて、しっかりと持っておくこと。
このガイドライン作りを通して、土台を固めていきたいです。
ガイドライン1:作中では個人の主張をしない
ひとつ目に掲げるガイドラインは、「作中では個人の主張をしない」です。
いきなり個性を否定するような内容だと思われるかもしれませんが、とても重要なことだと考えています。
個人の主義・思想を持つことは、生きていく上で、またクリエイターとして仕事をする上で、必要なことです。
しかし、原作があったり、前作があったりする作品の場合、お預かりしている大切なキャラクターを私物化するのは不誠実な行為だと思います。
自分自身の主張を、キャラクターの口から話させることは、ある意味キャラを人質にしているようなものでしょう。
また、自社IPや新規IPで自分が生み出したキャラクターであったとしても、それどころか、キャラクターを介していなかったとしても、やはり「自分」だけを主張してしまうのは不義理なことだと思います。
仕事において行う創作物は、自分名義で発表されるわけではありません。
会社や団体、ブランド、クライアント、社長や周囲の社員たち……そのほか様々な立場の方々を代表した言葉になります。
文字というものは、詳細に語れるがゆえに、メッセージ性が強いです。
文字として明確に何かを主張することは、想像以上に大きな波紋を呼ぶ場合もあります。
しかし、主義・思想を全面に押し出して創作をすること自体が悪であるわけではありません。
何か主張したいことがあって筆をとる場合。
文字の持つメッセージ性を最大限に活用して、人々に何かを届けたいと思う場合。
波紋を呼ぶことすら、目的となっている場合もあると思います。
その時は、その主義・思想に賛同した人だけで、あるいはその主義・思想を掲げている団体で行うべきでしょう。
それを擦り合わせている段階で、それはすでに自分の主張ではなく、団体としての総意となっているはずです。
もし周囲の理解が得られないなら、個人創作として発表すれば良いだけのことです。
その線引きをきちんと持って、自分を客観視しながら取り組むべきだと考えています。
仕事における創作は、自分だけのものじゃない
創作というものは、自分自身と完全に切り離せるものではありません。
書くものは全て自分の頭の中から出てくるわけですから、どうしたって自分の考えが反映されてきます。
けれど、だからこそ理性的に、客観的に、自分の主張が入り込みすぎていないか、よく点検することが必要だと思います。
自身の感想・意見は、それと分かりやすいように記述し、キャラクターの思想と自分の思想を混同しないようにしていきたいです。
そして、創作を創作として支持することと、その創作に織り込まれた思想に賛同することは、決してイコールではない。
創作が支持されたからといって、必ずしも自分の主張が賛同されているわけではない。
それを肝に銘じておきたいと思います。
コメント